2022年7月2日午後5時すぎ。
2年間一緒にいてくれたハムスター、小野寺千秋(愛称はちー)が亡くなりました。
たくさん触れ合ったわけではないけれど、存在してくれるだけで自分の日々にハリが出るような。
そんな気分にさせてくれた初めてのペット。2歳と約3ヶ月のオスのキンクマハムスターです。
今日はこの子と過ごした証として、この場でお話させていただきたいと思います。
ちーとの出会いはコロナ禍でした。
仕事も休みになった4月5月。私の中には寂しい思いと共にふわふわなペットを飼ってみたい衝動に駆られました。
人生で生き物を飼ったことがなく、犬や猫も得意ではなかった私には本当に無謀な考え。
だからこそどんなペットなら私にもきちんと最後まで責任を持って育てられるのか、たくさん調べて、考えて…
その結果、飼いやすさと、どのくらい生きるかも加味し、ハムスターに決めました。
ハムスターの種類の中でも飼いやすいゴールデンのオスにして、ホームセンターに尋ねました。
その中でも毛つやがよかった子、それがちーです。生まれて1ヶ月くらいのまだ小さな子でした。
名前は連れて帰る途中に見かけた表札の「小野寺」とパッと浮かんだ「千秋」を組み合わせて。
この名前は身内にずっとずっといじられます。
ホームセンターは家から電車と徒歩で一時間。連れて帰る途中も当然落ち着かず、大変でした。
飼い始めの1週間はとにかく大変でした。慣れない環境でちーは大暴れ。私も何もわからず。
買ったゲージはプラスチックと金属の合わさった2階建ての30センチほど。
2階をトイレにする可能性があったため急遽塞いでも必死に穴を開けて、金属部分に狙いを定め脱走しようとする。
ゲージを噛む音がうるさく、眠れない日々。1度かなり警戒され、独特なとんこつ臭を出されてしまい部屋から隔離することもありました。
でも想像以上にとっても賢くて、トイレはすぐに覚えたし、用意した寝床を使ってくれたり。
1ヶ月でゲージを噛む回数は減って、この生活に慣れたようでした。
飼い始めは私もハムスターを手に乗せたりすることに憧れていたため、慣れた様子を見計らい撫でようと手を伸ばしましたが、ものすごいびっくりされてしまい、それからちーに触れることはほぼありませんでした。
掃除も基本は風呂場で浴槽に放したり、2階部分を分離させて封じたり。常に警戒していた様子でした。
飼ってからしばらくして、私も日々のお世話に慣れた頃。
1階部分に置いてあったゴールデン用の巣箱から体がはみ出て、しばらくして外で寝るようになったちー。
心なしか回し車も小さく見えるような。。。太り過ぎか?と調べました。
ここでようやく、キンクマハムスターという身体が大きくなる種類で、買ったゲージが狭いということを知ります。
2階部分を開放し、そこを寝床にするようになりました。
餌もゴールデン用のペレットを好んだり、野菜をいくつかあげても人参だけを先に食べたり。
少しずつですが自分の好きなものや、好きなことを出してくれるようになったのが本当に嬉しかったです。
1年も経つと私が帰る時間に1階に降りてきて迎えてくれたり、餌が欲しくなったら特定の場所で立ち上がったり、ゲージを見ると近づいてくれるようになりました。
私を餌をくれる合図だと思っているのかと思いますが、単純に嬉しかったです。
しかし1歳を過ぎたちーは明らかに老化が進んだように、回し車を使っている時間も減り、食事量も減っていきました。
そして私も忙しくなり、基本的なお世話しかできなくてゲージが汚れがちに。触れ合う時間も減っていきます。
そして2歳になった途端。ちーは回し車を使わなくなり、水ばかりを飲んでいる姿が目立つようになりました。
私もちーの寿命を意識し始めることになります。
もちろん今まで通りお迎えしてくれますし、動き回ったりして元気な様子です。これは亡くなる直前までそうでした。
ハムスターの寿命は一般的に2年〜3年。元々それを承知の上で飼い始めた子。特に躊躇いはありませんでした。
だけど死期が来たら絶対に大切に弔ってあげよう。これはずっと決めていました。
そして先日。その日もバタバタと動いている音、水を飲む音を聞いていたはずでした。
ふとゲージに目をやると、1階で倒れているちーを見つけました。目を開けていて、トントンとゲージをたたいてみても一切動かなくて、すぐにそろそろお別れなんだと思いました。
身体の力が抜けて動けなくて、でも動きたい意志はあるように、時々ピクリと動いて、ゆっくり息をします。
ゲージの扉を開けて、初めてゆっくりと体を撫でてあげると、さっきよりも体が反応するようになりました。
私から逃げたい意志なのか、それとも受け入れてくれたのかはわからないけれど。
「ちー、たくさんありがとうね」と声をかけて撫でてあげた後、ゆっくりと動きがなくなっていき、息を引き取りました。
瞼を閉じてあげると、本当に眠った時と変わらないほどいつも見るかわいい寝顔のようでした。
ちーがどう思っていたかも含めて、動物がどう思っているのかは私たちにはわからないです。
全部私たちにとっての都合のいい解釈でしかないですけれど。
自分の寝床からわざわざ降りてきて、私にもわかるくらい近い場所で亡くなってくれたのは、私を飼い主だと少しでも認識して最期に看取ってもらいたかったのかなと。
最後に触れた時に反応したのは、嬉しかったのかもしれません。
そうであれば、あのこにとって私は同居人として大切な人になれたのかと、悪くない人生であったのかと思います。
急いでペットの葬儀屋さんを探しましたが、auの通信障害の影響で全く連絡ができず、4日の朝に送り出しとなりました。
仕事もあったのですが、上司がかなり理解のある方で急遽出勤を遅らせていただけることに。
お骨を手元に置いておくか最後まで悩みましたが、結果合同葬で一任することにしました。
もちろんちーと過ごした証は欲しかったですが、いつまで一緒にいられるかもわからなかったので、決めました。
きちんと死に対する覚悟はあったので、悲しい感情が全然浮かばなかったです。
逆にちーのことが全然見ることができませんでした。
今思えば、多分ちーが亡くなったことを受け入れたくなかったのかもしれません。
保冷剤を挟んで、買ってきたちょうどいい箱に詰めて、ゲージを処分すると一気に実感が湧いてきます。
たまたま買い足しのタイミングだったから餌もおやつも全然残っていなくて、ほんの少しだけ袋に詰めて葬儀屋さんを待ちました。
葬儀屋さんは本当に丁寧にちーを扱ってくれました。
ちーを棺桶に寝かせます。ここまで触ったのは初めて。冷たくなってもちーの毛はふわふわで綺麗で。
眠っている姿は今までで1番美しかったと思います。
最後のお別れを切り出すと、ちーと過ごした今までがぶわあっと湧いてきて、ようやく実感して、泣きました。
お盆の頃に、近所のお寺に埋葬されるとのことでした。
こうして私とちーの短い日々は終わりとなりました。
ペットを飼ってわかったこと。それは本当に大変なんだということ。
小さくても懸命に生きて、私を認識してくれた喜びはきっとこれからも忘れません。
ちーにとって、どんな生涯だったのでしょうか。私はいい飼い主では決してなかったかと思います。
たくさんの大切を教えてくれたちーは、こんな私よりもずっとずっとすごい生き物でした。
そしてフォロワーさんからうちに遊びにきてくれた友人までに愛されたちー。
そんなちーをとても、とても誇りに思います。
私と出会ってくれてありがとうね。
お空に行っても、私はちーのことを最初で最後のペットとして大切にするつもりです。
お盆にはお寺にお線香をあげにいきたいと思います。
ここまでみてくださりありがとうございました。
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